コミケットのスタッフによる「配置担当者より一言」というコーナーがある。
サークル参加申込者が申込用紙に書くアンケートなどへのレスポンスや、スタッフからの注意事項を載せるコーナーだ。
文章そのものはカタログに掲載されているものだが、webにおいてもバックナンバーという形で公開されている。
今回はその最新のバックナンバーにおいて、電源不要ゲーム担当のコメントについて、かなり違和感を覚えた部分があるので、それについて言及しておこうと思う。
ちなみに今回取り扱う「一言」は、最新の物ではあるが、バックナンバーなので、時系列的には今回の夏コミのカタログに載っていたものであり、すなわち冬コミのサークル参加者のアンケートに対するレスポンスなので、かなりタイムラグが出ていることに注意して欲しい。
まずは気になった該当部分の引用。
【好き】
サークル参加の動機には「自分の創作物を皆にみてもらいたい」と「好きになったものを他の人にも知ってもらいたい。共有したい」の大きく分けてふたつがあり、そのいずれかまたは両方があると思います。その発露としての同人誌を頒布する場が、コミックマーケットかと(以後、ちょっと抽象的な話が続きます)。
今回は先述の後者「好きになったものを~~」について。何か元となるネタのある本を作るにあたって、その元となるネタが「好きに“なった”もの」である必要があります。なぜなら「好きに“なる予定”」や「好きに“なるはず”」のサークル申込とは大きな違いがあるからです(続く)。
なんと言っても、「予定」や「はず」は未定であって、好きになれなかったという結果もあり得るという点。それならば、私としてはその時点での「好き」を本にしたい人に席を優先して用意してあげたいと考えます(続く)。
アニメなら放映後、マンガやゲームなら発売後、そして、観てみて読んでみて遊んでみて「好き」が溢れて仕方がなくなったら、「好き」を他の人とも共有したくなったら、それを形にしてみるのがサークル活動ではないのでしょうか(続く)。
もちろん「好き」が一つに収束されずに「これも、それも好き」になるといった事もあるかと思いますが、それはアリだと思います。でも、アレも好きコレも好きとなると、配置しきれなくなってしまいますので、サークルさんにはその内でどれがメインで好きかを訊いています(続く)。
なんでこんなことを言い出したかというと、今回申込時点で発売されていないゲームでの申込が少数見受けられました。その未発売ゲームを元にした申込サークルさんを協議の上で今回は抽選洩れとさせていただきましたので、この場を借りて私の見解を記させていただきました(続く)。
当ジャンルではオリジナルとして「僕の考えた○○のゲーム化」も存在します。「市販のゲーム化した○○」とは別物と分類しておりますので、その点お知りおきください。
この担当者の言葉の根本には、「同人誌とはその作品が『好き』だから作るものだ」という概念が存在している。
これはまぁ、昔から営利目的ではない同人誌という存在の位置づけとして何回も何回も使い続けられてきた考え方であり、正面からこれを否定するつもりはない。
ただオレが今回のこの文章を読んで違和感を覚えた部分は、「(サークル申し込み時点で)未発表作品の『好き』は、発表後の『好き』より低く薄い『好き』である」と断じるに等しい書き方をしている点である。
まず担当者氏の文章を整理しよう。
1段落目では、同人誌を作る際の動機の部分について言及している。
1つは「自分の創作物を皆にみてもらいたい」。
もう1つは「好きになったものを他の人にも知ってもらいたい。共有したい」であり、今回の担当者の言及は、こちらの「好きになったものを他の人にも知ってもらいたい。共有したい」について言及されている。
2段落目で「好きになったものを他の人にも知ってもらいたい。共有したい」という場合における未発表のものと発表済みのものについて、明確な線引きを行っている。
発表済みのものは「好きになったもの」という確定形である一方、発表前のものは「好きになるだろう」という仮定形でしかないといい、この両者の間には「大きな違いがある」と言及している。
3段目でその理由を述べている。
発表前のものはあくまで予定であって、結果的に「好きになれなかった」という可能性もあるだろうと。
よってこれをもって「その時点での「好き」を本にしたい人に席を優先して用意してあげたいと考えます」と述べている。
4段目はさらにこの理由を補強する文章だ。
アニメやマンガやゲームに対しては、それを見たりプレイしたからこそ、そうしなければ溢れ出さんばかりの『好き』にはならないだろうし、それを形にするという同人誌を作る動機にはならないのではないか、と続けている。
この部分の言い方はけっこう強い言い方をしている。
「それを形にしてみるのがサークル活動ではないのでしょうか」という書き方は、疑問系と捉えることもできるだろうが、ここは普通に日本語として読むならいわゆる反語であり、「ではないのでしょうか。そうに違いない」という書き方と読めるものだ。
もし担当者が疑問系のつもりで書いていたとしても、ここは無意識にでも反語的な、口語で言えば「好きが溢れてるんだから同人誌作るんでしょ?そうなんでしょ?違うの?」的な、疑問系に見せかけつつ、ほぼ断定している書き方だと言うしかない。
5段目は「溢れ出さんばかりでなくても好きは好き」という、ちょっと方向転換というか、クールダウンな言い方をしている。
が、「サークルさんにはその内でどれがメインで好きかを訊いています」という言葉は、つまり「メインは『溢れ出さんばかりの好き』でなければならない」と暗に言っていることになる。
ここまでをまとめると、
同人誌を作る動機は「好きになったものを他の人にも知ってもらいたい。共有したい」であり、これは作品を見た後にただ「面白かった」という感想が残るだけなのではなく、自分の内だけに留まらない外に溢れだんんばかりの『好き』が沸き起こってしまい、その結果として作り出されるものが同人誌だ、そういう人こそがコミケットでは優先させられるべきだ、という事になるだろう。
よって5段目までの考察を踏まえた上で、6段目で「その未発売ゲームを元にした申込サークルさんを」「抽選洩れとさせていただきました」と結果を述べている。
7段目はあまり関係ないので触れない。
大変な違和感である。
アニメなどならそうなのかもしれない。
ジャンル違いなので詳しく言及はしないが、まぁいわゆるニワカなどに対する牽制の意味で、『好き』に優劣を付ける必要があるのかもしれない。
まぁそれはいい。
ただそれはTRPGには当てはまらないだろうとオレは思うのだ。
個人的感情である『好き』に優劣をつける事もどうかと思わなくもないが、ただそこを敢えてTRPGというジャンルにおける「同人誌を作ろうとすべく溢れ出してしまった『好き』」の対象はどこにあるかと言えば、それは「TRPG」なのではないだろうか。
多くのTRPGerにとっても第一の『好き』とは、まずTRPGが対象なんだと思うのだ。
TRPGそのものが好きだからこそであり、言わばTRPGという存在とルールという存在を比べるのであれば、TRPG(をプレイする)が主であり、ルールは従なのである。
だから同人誌を作る人にとっては、オレも含めて、TRPGが好きだから同人誌を作るのであり、担当者氏の言葉を借りるのであれば「好きになったものを他の人にも知ってもらいたい。共有したい」→「TRPGを他の人にも知ってもらいたい。共有したい」という思いから同人誌を作っているのである。
もちろん「自分の創作物を皆にみてもらいたい」という情熱もオレには強くあるが、そもそもこの「TRPGが好き」という感情は、TRPGerには広く共感される感じ方ではないかと声を大にして言いたいのだ。
しかしこの今回の言葉は、この思いを否定しているとすら言える。
結果的に落選としている以上は、「TRPG愛」は「作品愛」よりも低いと判断されたと言わざるを得ない。
まぁアニメとかならそれはそうなのかもしれない。
「とにかくアニメが好きだ」っていう主張の仕方をしている人はあまり見受けられないし、それだけで同人誌を作るキッカケになるとも、業界評論本ならまだしも、確かにあまり思えない。
そもそも業界本は、その対象が業界であって、「アニメ」というジャンルに対する感情ではない。
でもTRPGは違うんだなぁ。
同人誌を作るにしても、普段からプレイするだけの人にしても、ルールによって好きの優劣はあったとしても、前提には「TRPG好き」が存在するんだよね。
まず先に「TRPG好き」があるんだよね。
TRPGという遊び方が好きで、それを実際に体現するために様々なルールが存在するっていう形。
もちろん中には「このルールだけが好きで、別にTRPG自体はどうでもいい」っていう人が一人も存在しないとは言わないが、ただオレの周りを見渡せば、機会があればどんなルールでもプレイしたいって思う人間が大半であり、オレのこの思いを問いかけた際にはハッキリと「確かにTRPGが主で、ルールが従だっていうのはその通りだと思う」と言う人間もいた。
これはアニメなどのジャンルとは(オレもアニメ好きだし)全然違う感情である。
「TRPGが好きだから同人誌を作る」
果たしてこの動機はダメなのだろうか?
おそらくこの文章を読んでくれている諸氏におかれては基本的にTRPGerだと思うのだが、そういう人って一度は「TRPGを知らない人にどうやってTRPGの魅力を伝えたらいいのか」と考えたことがあるのではないだろうか。
あるよね?
少なくともオレは常にそれを考えているし、AHCというオレが主宰しているサークルにおいても、初心者をいかに引き留めるのかっていうのは大きな課題となっている。
TRPGにおいて、これはもう古今東西、いつの時代でもどこの場面においても、大きな課題として存在し続けてているとすら言える。
それを主題とした書籍さえある。
例えば冒険企画局の『テーブルトークRPG入門』という本があるが、まさにこれは「作品を見て貰うための本」ではなく、TRPGというジャンルそのものに興味を持って貰うための本だ。
なるほど確かにアニメジャンルにおいては「アニメ入門」なんて本は成り立たないだろう。
「エヴァンゲリオン入門」ならあり得るかもしれない。
けどTRPGというジャンルにおいては、まず作品の前に「TRPGを知ってもらいたい、魅力を伝えたい」っていう思いがわき起こるんだよね。
「こんなに面白いTRPGという遊び方、ぜひこの魅力を知らない人にも伝えたい。そのためにはどうしたらいいんだろう」
こういう思いは、大なり小なりTRPGerの心の奥底に存在する感情なのではないだろうか。
そしてこれには様々な手段が考察され、模索され、未だ大成功の手段は発見されていないと言えるんだが、その内のひとつとして同人誌っていう手段はアリだと思っている。
むしろそれを信じてやっている面はオレにはある。
それってやっぱり「TRPGが好き」だからだ。
好きなものは多くの人に知って貰いたい、プレイして貰いたいって思うじゃないか。
同人誌を作る動機は、そんな自然な、とてもシンプルな感情からなんだよ。
グランクレストの公式リプレイ『激突のバトルフィールド グランクレスト・リプレイ ファンタジア×ファクトリー 下』のあとがきにこんな一説がある。
これこそが、TRPGの持つ力、かけがえのない楽しさを生み出す力の証明でしょう。
私たちは、あらためて確信しました。これだからTRPGは本当に面白いと。
だからこそ読者の皆さんにも、可能な限りTRPGを、グランクレストを、ぜひ遊んでいただきたいと思います。遊び続けていただきたいと思います。
グランクレストが主じゃないんだよ。
TRPGなんだよ。
TRPGerは、作品ファンである前に、TRPGerなんだよ。
決してTRPGなんてどうでもよくてその作品だけが好きだっていう姿勢を悪いとは言わないし、それを批判したり排除したりしようとは思わない。
ただ、この「まずはTRPGer」という“感覚”は、TRPGを愛好する者に共感されるものではないのだろうか。
プロとしてルールという作品を作っている人ですら、まず先にある感情は「TRPGが好き」なのだ。
だから「TRPG好き」という「好きになったものを他の人にも知ってもらいたい。共有したい」という思いにおいて、ルールとか発表前とか発表後で線引きをするという感覚が、どうも理解しがたい。
もちろんスタッフにはスタッフの中での常識や感覚があるのだろう、それは否定しないし必要な部分かもしれないが、ただやっぱり「TRPG好き」としては、そもそもがこんなところで線を引くっていう発想になってしまったのか、疑問に主ざるを得ないのである。
もし準備会やスタッフの作業が膨大で、一律で「未発表のものは落選」とせざるを得ないっていうのであれば、それは従わざるを得ない。
そうであればそう言って欲しい。
その事情をキチンと説明して欲しい。
しかし「好きが劣っているから」という理由を突きつけられるのであれば、それは納得できないと言うしかない。
電源不要ゲームの担当者がどれほどTRPGに造詣が深い人なのかは分からないが、どうであったとしても他ジャンルを基準のモノサシにして好きの優劣を定めるのであれば、他のジャンルの事は知らないけど、TRPGにおいてはそんな理由は成り立たないよ、と言うしかないのだ。
まぁもし準備会やスタッフの方が、それでも「自分たちには好きの優劣が分かる」と言うのであれば、それはもう仕方ないのではあるが。
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