あまおち顔アイコン_小.jpg 前回は「アビリティを使って行動を説明するという独自ルールにこだわる訳」ということで、「所持しているアビリティを使用し、どう行動するかを説明する」という判定方法についての、ひとつのこだわりについて書いてみた。
 そしてこれこそが「RPGの原点」なのではないかということも主張してみた。
 
 今日はさらに踏み込んで、ではRPGとはなんぞやっていう部分について、まぁテーマが壮大すぎるのでその全てを語れるとは思っていないが、前回述べた行為判定方法を踏まえて書いてみたいと思う。
 
 RPG、すなわち「ロール・プレイング・ゲーム」であるわけだが、中には「ロールプレイ」を演技だと思って、そこを嫌う人がたまにいる。
 言い換えれば「キャラクタープレイ」までをも強要されたくないという人だ。
 コテコテの演技が恥ずかしいという人はそれなりにいるだろうから、その気持ちは分かる。
 ただ、キャラクタープレイがイヤだからと言って、完全にプレイヤー目線でキャラクターもルールも世界も見てしまい、つまり「世界の上から俯瞰する神目線」になっては、これはRPGではなくなってしまうのではないかと思うのだ
 
 ここがシミュレーションゲームとの最大の違いだと思っている。
 つまり、「誰目線でプレイを進めるのか」だ。
 RPGは、その世界の中に住むキャラクターが、その世界の中の法則やルールに従って行動するというゲームだ。
 一方シミュレーションゲームのプレイヤーは、キャラクターではなくプレイヤー本人がゲームを俯瞰した上で最も勝ちに近い道筋を探すゲームである。
 この両者は「目線」が違うのである。
 
 RPGの言う「ロールプレイ」とは、「キャラクター目線を持つプレイ」だとオレは思っている。
 いくらキャラクタープレイをしたところで、しかしその目線が神目線であったら、それはロールプレイではないと言うべきなのではないだろうか。
 「私は世界の全てをこの目で見るジャーナリスなのよっ。いくら猛吹雪の山小屋で避難していたとしても、外に異変がちょっとでもあれば、命をかけて駆け寄って写真をとるのよっ」とほぼオープンニングで言われても、異能力を持つわけでもない一般人の人間がそんなコトは現実的にはしないわけで、これは単に恐怖をいたずらに他のプレイヤー(キャラクター)に振りまきたいだけの、「プレイヤー目線」での行動でしかないと断じざるを得ない。
 もっと言えばこの行為、ゲーム序盤だから「この段階でPCに死なれたら困る」というGMとゲームのシステムの網の目を付いた行為とも言える。
 これはロールプレイではない。
 
 オレのオリジナルルール「MSS」や、新作「悪の秘密結社RPGヴァリアントSNS」は、この「キャラクター目線での行動」を、行為判定ルールによって強制的に行わせているシステムと言える。
 キャラクターが持っているアビリティを「どう使うのかを説明させる」ので、プレイヤーは必ずキャラクター目線になるからだ。
 行為判定をいくらプレイヤー目線で有利に働かせようとしても、実際にはキャラクター目線で行動を説明しなければならないので、絶対にRPGになってしまうのである。
 
 それは誰の視点かっていう部分は、これは多くのゲームにとって重要な要点なのではないだろうか。